トーキングヘッズ叢書No.14
『トーキョーキューティーズ』より



ちょっと前の話だが、ベネトンが、全世界で配布される 年春夏カタログに、
原宿に集う日本の若者たちの写真を使い、ちょっとした話題になったことがあった。
それまでは、ユダヤ人とイスラム人との友愛やドイツの障害者施設を題材にしていただけに、
それに匹敵するものが日本に転がっていようとは、日本人は誰も考えなかったろう。

日本は、知らず知らずのうちに、世界的に見てもかなり特異な現象を生み出していたのだ。

この本のテーマ、「トーキョーキューティーズ」とは何か、一言で言うことはちょっと難しい。
ただまず言えることは、これも世界に類を見ない日本独特の現象のひとつなのではないか、ということだ。
だから、「トーキョー」という言葉は、「都会的なセンス」を意味すると同時に、
「世界から見た日本」を象徴するシンボルでもある。
「トーキョーキューティー」な物語は、いわば日本が世界に誇る特産物なのだ。

では「キューティーズ」とは何か、ということになろうが、
キューティとはかわいさと小生意気さを合わせ持った少女像をイメージする言葉であり、
そのアンビヴァレンスさが本特集の意図にぴったりだと言えよう。
つまり、精神的なピュアさと肉体的なエロティックさが同居している少女たちの物語
――しかもそれらは精神的なイタミを感じさせることが多いものの、それを決して否定的にはとらえない。

「トーキョーキューティーズ」とは、あえて言い切るなら、
「90年代の日本に生まれた、女性によるエッチでイタイ物語」とでもなろうか。

そしてそれらの物語は同時に、社会常識やモラルというものとはまったく無縁だ。
社会を良くしようとか悪くしようとかという意識もまったくない
――女性の権利だとか地位向上だとかが唱われることはなく、
もはや男など彼女たちの敵ではないと言っていいだろう。

それが「トーキョーキューティー」な物語なのである――。

[案内に戻る]
トーキングヘッズ叢書のメインページへ戻る